バレーボールに関する名言集を集めました。
バレーをやっていてもモチベーションが上がらないとき、練習しても上手くいかない時もあると思います。
現役選手も指導者も、トップ選手たちの言葉が何か参考になればと思います。
竹下佳江(現 ヴィクトリーナ姫路 監督)
「体は小さくても、心はでっかく。私のモットーなんです」
竹下佳江選手は全日本で活躍した司令塔です。
当時は世界最小最強セッターの名を元に活躍していました。
竹下選手が初めて全日本に選ばれたのは2000年。
正セッターとして選ばれた後のシドニーオリンピック予選で日本女子バレーでは〜年以降初めてオリンピックの切符の逃し、身長の低い竹下選手と、竹下選手を選出した葛和監督はバッシングに合いました。
その後、辛い思いを乗り越えて〜オリンピックでは〜年ぶりのメダルを獲得しています。
小さい体を理由にバッシングされた過去があるからこそ、この言葉を大事にしているのだと思います。
加藤陽一(現 PFUブルーキャッツ コーチ)
「僕のアイデンティティは、バレーなんです。男子バレーが強くならなければ、僕個人も世間には認めてもらえない」
加藤陽一選手は〜年に全日本で活躍した選手で、「空飛ぶプリンス」の名称で絶大な人気を誇っていました。
現在では、石川祐希選手や柳田将洋選手など、日本人選手の海外リーグへの挑戦が目立っていますが、加藤陽一選手は誰よりも早く海外リーグに挑戦していました。
当時は、海外リーグにいると全日本には選ばないと言われるなど、現在と環境が全然違っていたので、今よりも海外リーグへの移籍はハードルが高いものでした。
現在、海外移籍が認められつつ、全日本にも選ばれることができるのは加藤陽一選手が道を開いてくれていたからかもしれません。
柳田将洋(現 全日本男子 キャプテン)
「このままでは埋もれていってしまう」
柳田将洋選手は現在の全日本男子のキャプテンです。
柳田選手は慶応大学を卒業後、サントリーに所属していました。
しかし、日本に残り続けていては世界に勝てないんじゃないかと疑問に持った柳田選手は、海外リーグへの挑戦を決めました。
東京オリンピックで結果を残したいからこそでた言葉だと思います。
中田久美(現 全日本女子 監督)
「勝ち続けるチームになるためには、選手たちが自立しなくてはならない」
全日本女子監督の前は久光製薬スプリングスの監督としてリーグ優勝に導きました。
現役時代は1984年ロスオリンピックで銅メダルを獲得したメンバーで、セッターとして女子を引っ張っていました。
日本リーグ、プレミアリーグ時代を通じて4度の最高殊勲選手に選ばれています。4度の選出は歴代最多です。
現在は全日本女子代表の監督をやっています。今後の全日本女子がどのようなチームになるか楽しみですね。
シーズンを通じて、最も活躍した選手に送られる賞のこと。「最優秀選手」や「MVP」と同義語。
カーチキライ(現:アメリカ女子代表監督)
「バレーは公式のようなものではない。だから選手に自由を与えなければならない」
現役時代インドアバレーでオリンピックで2度の金メダル獲得、ビーチバレーでもオリンピックで金メダルを獲得した男子バレー界伝説の選手です。
高校バレーなどを見ていても思いますが、勝ち残るチームって選手たちが伸びのびプレーしていることが多いような気がします。
型にはまったバレーだけでは、応用力が欠けてしまうのですかね。
カーチキライ監督は型にハマっただけのバレーをしていては勝てないということを言っているのでしょう。
小島孝治(元 全日本女子監督)
「ボールは手で拾うものではない、足と心で拾うもの」
小島孝治さんは全日本女子が1972年ミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得したときの監督でした。
2014年に83歳に肺炎のため亡くなっています。
浪速の熱血監督と呼ばれ、根性バレーでチームを引っ張っていました。全日本以外でもバレー界に幅広く貢献した方です。
今も語り継がれる名言からも、熱さが滲み出ていますね。
私の好きな名言の一つです。
小川良樹(下北沢成徳監督)
「監督というのはサービス業だと僕は思うんです。だから自分の感情で判断するのではなく選手が今何を求めているのかをまず最初に考える。上からやらされるバレーでなく、選手がやるバレーのため、僕はそのお手伝いとして存在するんです」
下北沢成徳高校は多くのVリーガーを生み出している、超名門校です。
女子バレーの強豪校というと、スパルタなイメージが強いですが、下北沢成徳は自主性を大事にしている自由な指導をしているそうです。
そのため選手達は自ら考えてプレーするクセが身に付いていて強いチームが生まれるのでしょう。
木村沙織(元 全日本女子代表)
「トップアスリートにとって根拠のない自信は絶対に大事なんですよ。特に、オリンピックの舞台でこのワンプレーが勝敗を分けるという場面では。」
木村沙織選手は、高校時代に全日本に選出され長く全日本女子のエースとして活躍していました。
オリンピックには3大会連続で出場し、2012年のロンドン五輪の銅メダル獲得の原動力にもなりました。
五輪でメダルを獲得した選手だからこそ、この言葉には重みがありますね。
メダルがかかっているオリンピックで、得点をとりつづけないといけないプレッシャーは相当なものなんでしょう。
真鍋政義(現 ヴィクトリーナ姫路 マネージャー)
「信頼がなければ、指導者の声なんて届かない」
現役時代は日本を代表するセッターとして活躍し、ソウル五輪にも出場しました。
引退後は全日本女子の監督を8年間つとめ、ロンドン五輪銅メダルを獲得した時の監督です。
監督になってからは女子選手と信頼関係を築くために、食事の席順をくじ引きにしたり様々な工夫をしていて、細かい所まで気を使い信頼関係を作ったからこそ五輪メダル獲得に繋がったのでしょう。
荻野正二(現 サントリー アドバイザー)
「嬉しいです。やっててよかった。こんなキャプテンについてきてくれて、ありがとう」
現役時代はレシーブもトスもできる器用さを持っているウイングスパイカーとして、日本代表に選ばれ、1992年にバルセロナオリンピックに出場しました。
2008年の北京オリンピック世界最終予選では、4大会(16年)ぶりにオリンピック出場が決まる試合に出場し、最後の得点をあげました。
キャプテンとして、苦しい期間をチームを引っ張って来たからこそ、出た言葉だと思います。
こういう事が感じられるのはチームスポーツならで、バレーボールの良さを感じられる名言だと思います。