サントリーサンバースとは?
- チーム名 サントリーサンバース(男子)
- 本拠地 大阪府 箕面(みのお)市
- 創設年度 1973年
- 監督 荻野 正二 監督
サントリーサンバーズは、大阪に本拠地を置く男子バレーボールチームで、日本代表には栗山雅史選手が選出されています。
2017年までは、全日本の柳田将洋選手が在籍していたチームとしても有名です。
サントリーサンバーズの「サンバーズ」の名前の由来とは、サントリーの「サン」と太陽の「サン」、そして「不死鳥のように」という思いからサントリーサンバーズと名付けられたそうです。
サントリーサンバーズの所属選手一覧
背番号 | 氏名 ◎は日本代表 | ポジション | 身長 | 最高到達点 | 生年月日 | 出身校 |
1 | 鶴田 大樹 | リベロ | 177cm | 335cm | 1991年7月13日 | 東福岡高等学校 東海大学 |
3 | 小野 遥輝 | ミドルブロッカー | 187cm | 340cm | 1995年10月27日 | 東北高校 東海大学 |
4 | 鳥飼 亜斗夢 | アウトサイドヒッター | 195cm | 340cm | 1996年4月6日 | 筑紫台高校 東亜大学 |
5 | 松林 憲太郎 | アウトサイドヒッター | 185cm | 350cm | 1994年10月8日 | 東北高校 東海大学 |
6 | 季 道帥 | アウトサイドヒッター | 195cm | 352cm | 1992年2月7日 | 中国 濰坊市第七高等学校 華南理工大学 |
7 | 山本 湧 | セッター | 180cm | 330cm | 1993年3月9日 | 東亜学園高等学校 専修大学 |
9 | 大宅 真樹 | セッター | 178cm | 328cm | 1995年4月23日 | 大村工業高等学校 東亜大学 |
10 | 藤中 謙也 | アウトサイドヒッター | 190cm | 340cm | 1993年7月25日 | 宇部商業高等学校 専修大学 |
11 | 秦 耕介 | アウトサイドヒッター | 191cm | 338cm | 1995年7月15日 | 駿台学園高等学校 筑波大学 |
12 | 塩田 達也 | ミドルブロッカー | 192cm | 335cm | 1989年11月17日 | 洛南高等学校 東海大学 |
13 | ムセルスキー ドミトリー | オポジット | 218cm | 375cm | 1988年10月29日 | – |
14 | 加藤 久典 | ミドルブロッカー | 193cm | 345cm | 1994年4月7日 | 早稲田実業高校 早稲田大学 |
15 | 喜入 祥充 | リベロ | 174cm | 337cm | 1992年8月12日 | 大塚高等学校 早稲田大学 |
17 | 星谷 健太朗 | ミドルブロッカー | 196cm | 340cm | 1991年11月8日 | 渋谷教育学園幕張高等学校 慶応義塾大学 |
18 | 小川 猛 | オポジット | 193cm | 350cm | 1994年7月7日 | 桐蔭学園高校 |
19 | 栗山 雅史 ◎ | アウトサイドヒッター | 189cm | 350cm | 1988年7月14日 | 佐賀商業高等学校 専修大学 東京ヴェルディ |
21 | 佐藤 謙次 | ミドルブロッカー | 196cm | 335cm | 1997年1月16日 | 弘前工業高校 東海大学 |
荻野正二監督はどんな人?
荻野監督はバレーファンにとっては知らない人はいないでしょう。
福井出身で現役時代もサントリーに所属していました。
1989年には全日本にせんしゅつされ、1992年のバルセロナオリンピックにも出場しました。
その後、日本男子バレー界は3回連続オリンピック予選で敗退してしまい、迎えた北京オリンピック予選。
当時のメンバーでオリンピックを知る男は荻野選手だけになりました。
勝てばオリンピック出場が決まるオーストラリア戦で、途中出場した荻野選手によって流れが完全に日本ムード。
そしてオリンピック出場を決める最後の一点は荻野選手のスパイクで決まりました。
この瞬間は忘れられないでしょう。
このときの植田監督が喜びのあまり床に倒れて当時は話題になりました。